目次
オリンピックに行けなかった理由は?
初めのチャンスは
1976年のモントリオールオリンピックでしたが
肘の故障のために選考会に間に合わず
落選しています。
2度目のチャンスは
1980年のモスクワオリンピックでしたが
代表に選ばれてはいましたが
日本政府がモスクワオリンピックを
ボイコットするという事件が起きたために
幻の代表となったのです。
その後引退したために
オリンピックで金メダル確実とまで言われたのに
藤猪省太さんはメダルを手にすることが
出来なかったのです。
藤猪省太の現在は?
出身である香川県東かがわ市のふるさと大使や
「柔道の輪を世界平和に繋げる会」の代表
さらには
インドネシア柔道ナショナルチームの総監督
として活動されているようです。
柔道の実力者として活躍されたのちは
柔道を世界に広げるために
活動をされているのは驚きでした。
てっきり日本で指導をしているのかと
思っていました。
過去には実際に指導を行ってはいました。
ただ、ある問題のために指導者の座を
降りていたようです。
その問題も藤猪省太さんが起こしたわけではなく
部員が起こしたことで監督責任を取ったという
形になっていました。
詳細はもっといろいろあったようですが
こんな感じだったようです。
藤猪省太(ふじいしょうぞう)が柔道の消えた天才!記録、経歴は?現在は?のまとめ
今回は次のようにまとめました。
- 藤猪省太の記録、経歴は?
- オリンピックに行けなかった理由は?
- 藤猪省太の現在は?
実力はあるのにオリンピックに参加が
出来なかったのはとても悔しかったでしょうね。
まさに悲運としか言いようがないです。
放送ではどんなことを語ってくれるのか
とても楽しみです。
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最後までお読みいただきありがとうございました。