三原理絵はパキスタンへ移住。壮絶過去と経歴は?バイオプロの通販価格は?(世界ナゼそこに)

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12月3日放送の「世界ナゼそこに?日本人」

知られざる波乱万丈伝という企画で

三原理絵さんという女性がが81歳の母親と共に

パキスタンに移住した話が放送されます。

パキスタンはイスラム教やテロのイメージが強いだけで

に国の文化であったり、生活習慣、国の雰囲気など

全然知らない国です。

そんな国に移住した三原理絵さんとは

一体どんな人で、どんなことをしている人なのか

気になったので調べてみました。

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プロフィール・経歴

引用元:https://gogetterz.com

氏名:三原 理絵

年齢:1977年 (41歳 2018年度)

出身地:東京都練馬区

父親:言葉少なく知びしい不器用な愛情を与えてくれる人

母親:楽天的で陽気な母で、情操教育をしてくれる人

幼少~学生時代

幼稚園時代に区の絵画コンクールで入賞。

小学生時代はいじめられている子をかばったことで

今度は自分がいじめられる立場に。

いじめをきっかけに人と関わりたくないという思いから

書道やエレクトーンという一人で没頭できる習い事を

始めるようになる。

結果、書道で新聞賞を受賞できるほどの腕前に。

中学時代では吹奏楽部でクラリネットを担当する。

吹奏楽部では運動がないと思っていたのに

肺活量を鍛えるための運動があることを知り

愕然としたらしいです。

この時に祖母が亡くなり、次いで愛犬が死亡するという

別れを経験し治すと看取りに興味を持ち

さらに、「もっと病院って可愛い内装にすれば良いのに

お葬式の会場ももっと明るくすればいいのに」という

思いから芸術系の進路を選択しました。

都立高校時代デザイン美術学科に入学し

美術を勉強しつつデパ地下のお豆腐屋さんでアルバイトを

始めます。

自分の接客次第でお客さんの笑顔と売上げが増える事の

喜びを体験し、楽しく働いて気付くとバイト店長の

立場になっていたそうです。

専門学校時代は流通学科に入学し学校で得た知識を

アルバイト先で実践しお客様のリアクションを

楽しんでいました。

卒業後の進路は念願の百貨店勤務です。

しかし、卒業前に父親が脳梗塞で倒れ障害が残りました。

当時の年齢

三原理絵さん19歳。父、56歳。母、60歳

社会人時代はお金の工面と介護に明け暮れる日々でした。

住宅ローンの返済に入院費を捻出するために

百貨店勤務を諦めインセンティブ性の不動産会社で

結果を残せるほど必死に働いたそうです。

父親の病状悪化に伴い再度転職しコールセンター業界へ。

夜間のガソリンスタンド、仕事前の配送会社とバイトの

掛け持ちをされていたそうです。

その時にギックリ腰を患い、以降椎間板ヘルニアとの

長い付き合いをしているそうです。

再度転職をしコールセンター運営会社で働くことに。

そこでも仕事の成果が認められ、コールセンター長という

役職をもらい働いていたそうです。

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起業のきっかけ、決断

理絵さんが出張で介護が出来ないときに

初めてショートステイを利用したそうですが

迎えに行ったときに、ショッキングな場面に遭遇します。

車いすに縛られている父親を目撃。

母親と相談し出した答えが

「在宅で2人で最期まで看よう」です。

しかし、その結果

理絵さん自身が不規則な生活に仕事、介護疲れから

重度のうつ病を発病していました。

死を選ぶことで解放される

追い詰められた理絵さんはこの頃から

父親が「早く死んでくれればいいのに…」などと

つい思ってしまう自分がいました。

そして両親が寝静まった深夜のキッチンでガス栓を捻って

一家心中を試みたそうです。

ガスの臭いに気付いた愛犬が吠えたこと

正気に戻った理絵さんはガス栓を閉めたのです。

父親がが倒れて10年目

愛犬を抱きかかえながら初めて

声をあげて泣いた夜だったそうです。

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死の淵から気付けたこと

自身が社会的弱者になり福祉や支援に興味を持ち始め

東北福祉大学社会福祉学科の通信講座を受講しました。

そこで思いついたのが

ケアをする人のケアをする役割が必要だ!

ということでした。

その人らしく、その家族らしく、ありのままに明るく介護を

楽しむためには?という考えから

「回想療法を交えたセミオーダー介護サービス事業」を

企画して、2008年9月に「株式会社誠や」を設立することを

決断しました。

そして、新たな事業を始める出来事もありました。

父親が余命宣告を受け死を現実的に考えたとき

父親にお布団をかけて温めているのに、

「死んだらドライアイスや冷蔵庫で遺体を冷やすって

可哀想じゃない?」とふと思ったことが

次の事業の転機となったそうです。

緩和ケアセラピーをしてあげるとき感染症対策に

除菌液を使っていることを思い出し

葬儀社や病院で二次感染対策を学び

「感染症予防事業」へ乗り出していくことになったのです。

そして、父親は72歳で旅立ち

16年という長い介護期間に終止符を打つことが出来ました。

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