こんにちはMaruです。
2019年7月28日に石井章夫さんが
消えた天才で特集されます。
ドラフトを拒否しプロ入りをしなかった
理由に家族が関係しており
その内容が衝撃でした。
叶わなかったプロの夢は弟である
石井貴さんに託し
石井章夫さんは社会人野球で
キャッチャーとして活躍しました。
そこで古田敦也さんと出会い
実力の凄さから
彼の存在がなければ今の僕はいない
と言わしめたのです。
一体どんな人物なのか
プロフィールをまとめてみました。
目次
石井章夫のドラフト拒否理由が衝撃!プロの夢は弟に!
石井章夫さんはドラフトを拒否し
プロ入りをしなかったことで
バッシングを受けたとありましたが
何故、拒否をしたのでしょうか。
その理由を探るために
プロフィール、経歴を調べてみました。
氏名:石井 章夫(いしい あきお)
生年月日:1964年9月30日
年齢:54歳(2019年7月現在)
出身地:神奈川県綾瀬市
出身校、選手歴:桐蔭学園高校
慶應義塾大学
東京ガス
監督歴:東京ガス
社会人野球日本代表
石井章夫さんは慶応義塾大学時代に
東京六大学リーグ通算60試合に出場し
199打数45安打
打率.266
3本塁打
15打点
を記録しています。
その活躍が認められ
大学4年生の1986年にドラフト会議で
当時の横浜大洋ホエールズから
2位指名を受けています。
しかし指名を拒否し
東京ガスに入社しキャッチャーとして
12年間も活躍をしていました。
その後は東京ガスとしての事業に加わり
2003年からは東京ガスの野球部の
監督をされていました。
2017年2月には
社会人野球日本代表監督に選ばれたのです。
石井章夫さんは野球人生を
送ってこられましたが
プロ野球の世界には進みませんでした。
その理由について調べてみました。
プロ野球に進まなかった理由は?
石井章夫さんの父親は早くに
亡くなられてたようです。
残念ながらどんな理由で
亡くなったのかまでは明らかになっておらず
言えるのは一家の大黒柱である
父親がいないということで
家計が苦しかったのだろうということです。
現在の母子家庭であれば
十分でないとはいえ
いくらかの補助がありますが
30年以上前の日本では
不十分すぎるものでした。
この家庭環境こそ石井章夫さんが
プロに進まなかった理由なのです。
プロ野球に進んだとしても
成功するかは分かりません。
ある意味博打的な判断になります。
家庭環境に余裕がない状態で
プロ野球に進む判断をするのは
とても厳しいことでした。
石井章夫さんには
プロ野球選手になるという夢
がありましたが
諦めて就職の道を選んだのです。
そしてプロ野球選手になるという夢は
弟の元西武ライオンズの石井貴さんに
託され実現することとなったのです。
7月28日の消えた天才(キャッチャー・古田敦也)
『消えた天才』7/28(日) 野口みずき&古田敦也&上村愛子が衝撃を受けた天才SP【TBS】 https://t.co/ETJi1BAoGY
— TBSテレビYouTuboo (@tbsyoutuboo) July 26, 2019
元プロ野球選手の古田敦也さんは
プロでも自分より守備がすごいと
思える選手はいなかった
と語るぐらいの実力ある選手でした。
けれどアマチュア時代に
勝てなかったキャッチャーがいたことを
消えた天才の番組内で明かしました。
その天才と出会ったのは
社会人野球時代で天才の送球を見た時に
衝撃を受けたそうです。
天才の強肩を見た時に
この天才を超えていかないとプロにはなれない
と感じ自分自身を磨き上げていったのです。
その甲斐あって
平成の名捕手という名誉ある称号を
手に入れることが出来たのでした。
そんな天才キャッチャーはドラフトで
指名を受けますが入団を拒否し
プロ入りを蹴った男として
非難を受けたのでした。
そんな人物が7月28日の消えた天才に
登場し当時の事を語ってくれます。
石井章夫のドラフト拒否理由が衝撃!プロの夢は弟に!キャッチャー古田敦也の消えた天才のまとめ
今回は次のようにまとめてみました。
- 石井章夫のドラフト拒否理由が衝撃!
- プロの夢は弟に!プロ野球に進まなかった理由は?
- 7月28日の消えた天才(キャッチャー・古田敦也)
石井章夫さんをまとめてみましたが
夢を諦めるという決断は
とても苦しいものだったでしょうね。
プロ野球に進むことが出来ませんでしたが
野球を続けることが出来たのが
救いであったと思います。
番組で一体どんなことを語ってくれるのか
とても楽しみです。
最後までお読みいただきありがとうございました。