小松原学は幻のストライカーで中澤佑二も絶賛!Jリーグから整骨院の真相は?【消えた天才】

こんにちはMaruです。

2019年6月25日の消えた天才で

小松原学(こばつばらまなぶ)さんが

登場します。

この人物が誰かと思ったら

幻のストライカーとも言われ

中澤佑二さんや稲本潤一さんから

絶賛された人物です。

飛び級で代表入りした天才は

最年少記録のJリーグデビューも

22歳の若さで表舞台から去ります。

その後の現在はPass鍼灸整骨院

院長となりますが

引退した真相とは何だったのでしょうか?

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小松原学は幻のストライカーで中澤佑二も絶賛!Jリーグから整骨院の真相は?

稲本潤一さんや中澤佑二さんが

衝撃を受けたという小松原学さんは

一体どんな人物なのでしょうか?

まずはプロフィールをまとめてみました。

氏名:小松原 学(こまつばら まなぶ)

生年月日:1981年4月2日

年齢:38歳(2019年8月現在)

出身地:群馬県

所属クラブ歴

ベルマーレ平塚ユース(平塚学園高校)

1998年-2001年 ベルマーレ平塚/湘南ベルマーレ

2002年-2003年 ヴァンフォーレ甲府

2003年 FC湘南大磯

2004年-2005年 群馬FCホリコシ

2011年-2013年 渋川FCハヤブサイレブン

2016年 ブランデュー弘前F

4歳でサッカーをはじめ

小学2年生の時にはすでに

プロを意識していたようです。

中学生になると

ベルマーレ平塚(現湘南ベレマーレ)の

ジュニアユースに入団しました。

中学3年生ながら一つ上のカテゴリーである

U17日本代表に選ばれました。

ベルマーレ平塚のジュニアユースから

ベルマーレユースに昇格したことで

Jリーグの2種登録選手となりました。

そして1998年4月11日の

セレッソ大阪戦で17歳と9日という

当時のJリーグ最年少出場を記録したのです。

当時の貴重な動画が残っていました。

その実力のため

稲本潤一さんから次のように語ったのです。

「日韓W杯に一緒に出ると思っていた」

それほどの実力者は

何故引退となったのでしょうか?

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引退となった真相は?

1999~2000年は

20試合以上に出場し活躍を見せますが

2001年にはケガをしたこともあり

5試合の出場となっています。

その後は所属クラブ歴にあるように

所属先を転々としたことで

未完の大器と呼ばれました。

怪我で出場機会を失い

群馬FCホリコシ時代に

小松原学さんのホームページ上で

「プロとしてサッカーをするのは今年で最後にします」

と発表し

2005年に現役引退したのです。

Jリーグを去り整骨院の院長になるまで

サッカー選手を引退後は

ギャンブルで日銭を

稼ぐ時期があったとされていますが

6年かけて柔道整復師や

あん摩マッサージ指圧師の資格を

取得することが出来ました。

2012年に現在の仕事である

Pass鍼灸整骨院を群馬県で開院したのです。

小松原学さんが有名となったきっかけ

梅沢富美男さんを診たことです。

その事があり有名アイドルグループや

ケツメイシのツアーに同行

施術するようになりました。

小松原学さんは整骨院をする一方

少年サッカークラブを運営しています。

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8月25日の消えた天才

日韓W杯に一緒に出ると思っていた

と稲本潤一さんが語った

幻の天才ストライカーが今回登場。

飛び級で日本代表に選ばれるなどの

大活躍も数年でJリーグから

引退してしまった。

その真相を元日本代表・中澤佑二さんが

探ります。

小松原学は幻のストライカーで中澤佑二も絶賛!Jリーグから整骨院の真相は?【消えた天才】のまとめ

今回は次のようにまとめてみました。

  • 小松原学は幻のストライカーで中澤佑二も絶賛!
  • Jリーグから整骨院の真相は?
  • 8月25日の消えた天才

実力があっても怪我が原因で

引退を余儀なくされるのは

よくある話ですが

才能ある選手が去るのは

とても残念です。

小松原学さんは相当追い詰められていたことを

番組で告白するようですが

一体どんなことを明かすのかとても楽しみです。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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