2019年1月13日に放送予定の
「消えた天才」で
プロ野球選手の松坂大輔さんが勝てなかった
日本一の天才が放送されます。
今回は他にも
なぜ、いつ野球をやめたのか?
今現在は何をしているのか?
気になったので、まとめました!
目次
松坂大輔さんのプロフィール
今更書く必要があるのかって感じですが、
簡単にまとめさせてもらいます。
名前
松坂大輔(まつざか だいすけ)
「大輔」の由来
大輔という名前は荒木大輔さんの名前から
とられているそうです。
1980年代前半の早稲田実業高校の
エースだった方です。
愛称
「マツポン」「マツ」「ダイスケ」
MLBメディアでは「Dice-K」「D-Mat」
ボストンでは「Dice-K」
本人は「D-Mat」をサインに使うこともある。
出身地
青森県青森市生まれ
東京都江東区育ち
妻
柴田倫世
子ども
2005年に誕生した長女
2008年に誕生した長男
2010年に誕生した次女
「目標が、その日その日を支配する」
これは横浜高校創立者黒土四郎が愛した詩の一節。
野球の経歴
5歳から小学3年生までは、地元東京都江東区の
福住剣友会で剣道に打ち込んでいた。
小学3年生で東陽フェニックスに入部し野球開始。
し中学時代江戸川南リーグ(リトルリーグ)に所属する。
横浜高校時代は、「サボリのマツ」と言われていたが、
2年生時の夏の神奈川大会準決勝の対横浜商業高校戦で
自身の暴投でサヨナラ負けを喫し、以降奮起して猛練習した。
3年生時に150km/h超の球速を出し、
切れ味鋭いスライダーを武器に超高校級の投手として
「平成の怪物」として注目を浴びた。
1998年の第70回選抜高等学校野球大会では
完成度の高い投球と小山、後藤武敏、小池正晃ら
チームメイトの活躍で他校を寄せ付けず優勝。
最後の夏となった第80回全国高等学校野球選手権大会では、
準々決勝でPL学園高校に延長17回という
長丁場の試合に250球を投げ完投勝利。
決勝では史上2人目となる決勝戦での
ノーヒットノーランを達成。
1998年度新人選手選択会議では、
西武ライオンズが交渉権を獲得し、西武へ入団した。
背番号は18だった。
長すぎるためあとは割愛しますが、
この後も西武ライオンズで輝かしい成績を残され、
その後ボストンレッドソックスに入団され
メジャーデビューされています。
そんな平成の怪物松坂大輔が人生で
唯一勝てなかった天才投手とは、誰なのでしょう?
松坂大輔さんに勝った江刺徳男(えさしのりお)さんとは?
少年野球のチームで
江刺徳男(えさしのりお)さんは
エースで4番
松坂大輔さんは
控え投手で5番でした。
松坂大輔さんが選ばれなかった
日本代表でもエースでした。
江刺徳男(えさしのりお)さんは
中学2年生で野球を辞めていました。
江刺徳男(えさしのりお)さんが野球を辞めた理由は?
江刺徳男(えさしのりお)さんは
甲子園・プロを目指していたそうです。
しかし、
江刺徳男(えさしのりお)さんは
母子家庭で母親が苦労して
貧困の中頑張って育ててくれていたそうです。
そして、
野球より母親を優先しようと。
道具代や遠征費代がかかる野球を
続けられないと決めました。
皆頑張っているのに、
辞めることは申し訳なくて、
誰にも言えなかったということです。
野球への未練も少しありました。
甲子園などに仲間がでている姿をみて
羨ましいと思っていた。
でも一番大切なことは、
母を助ける事でした。
華麗なる転身先とは?
18歳で結婚し、
長男が誕生しました。
一人っ子母子家庭で、苦労したので、
自分の息子には苦労はさせたくないと思っていた。
幸せな家庭を築きたい。
自分は野球を途中で断念したので、
自分の息子には野球を続けてもらって、
甲子園やプロに進んでほしいと思った。
しかし、その後離婚。
最愛の息子と離れ離れになってしまいました。
絶望感しかなかった。
自分の息子にも
自分と同じ苦労をさせてしまう。
と本当に辛かった。
どん底で荒れた生活を送っていた江刺徳男さん、
そんな時に
最愛の息子から1通の手紙が来ました。
それが今でも心の支えだそうです。
「お元気ですか?
ぼくはママと元気にしているよ。
最近野球をはじめたよ。
またパパとキャッチボールがしたいな。
お仕事頑張ってね。」
という内容でした。
そして、野球をしている息子の写真が
同封されていました。
嬉しくて涙がでたそうです。
そして、落ちぶれているパパより、
仕事を頑張っている姿を見せたい。と
カッコいいパパになりたい。と
頑張っているそうです。
今現在はどうしているの?
現在は建築金物工の専務として働き
有明コロシアムや新松の内ビルの
建設に関わったそうです。
最近嬉しい知らせが。
息子は今でも野球を続けていると!
息子に甲子園・プロを目指してほしい。
夢を託せた。
嬉しい。と
まとめ
松坂大輔さんやその他の野球関係者の方が
口をそろえて江刺徳男(えさしのりお)さん。
野球を辞めなければならなかった理由が、
胸が締め付けられるものでした。
中学2年生で野球より母親が大切だ。
と決めるなんて、とても優しい方でした。
今現在も建築金物工の専務という
素敵な仕事をされていました。
そして、いつも息子のことを思っている
優しいパパになっていました。
これからも江刺徳男(えさしのりお)さんを
応援していきたいと思います!!