2019年1月13日の消えた天才で
古賀稔彦さんが
高校時代に投げることができなかった
天才柔道家が出演されます。
今回の消えた天才には
平成の怪物松坂大輔が勝てなかった天才投手
天才野球少年上地雄輔が勝てなかった天才投手
なども出演されました。
今回は古賀稔彦さんに勝った天才について
まとめてみようと思います。
目次
古賀稔彦さんのプロフィール
とても有名な方なので、いまさら感はありますが、
どんなにすごい人なのか、まとめてみようと思います。
氏名:古賀 稔彦(こが としひこ)
誕生日:1967年11月21日
出身:佐賀県三養基郡北茂安町(現・みやき町)
身長:169㎝
血液型:A型
現在
環太平洋大学教授(弘前大学博士(医学))
日本健康医療専門学校校長。
柔道
柔道家(八段)
1992年バルセロナオリンピック柔道
男子71kg級金メダリスト。
内山善康(うちやまよしやす)さんの柔道を引退した理由は?
古賀稔彦さんが唯一勝てなかった
内山善康(うちやまよしやす)さんは
偏差値71の秀才です!
当時柔道ノートをつけており、
古賀稔彦さんについても分析されています。
そして
「全国大会決勝で古賀稔彦さんと戦うまで
絶対に負けない!必ず勝つ!」とも書かれていました。
高校3年生のあの試合でできることは全てやった。
あれ以上のことは僕にはできなかった。
負けたからこそ、柔道を諦め、
目標を変えたとのことです。
内山善康(うちやまよしやす)さんの華麗な転身先とは
そして、医師になったそうです。
東海大学医学部に合格!
医学部にいく勉強より、
柔道をやっている方が大変だった。
内山善康(うちやまよしやす)さんは
スポーツ整形外科の専門医に転身されました。
肩関節外科のスペシャリストになりました。
バルセロナオリンピックで、膝靭帯をけがして
痛み止めを打ちながら出場し、
見事に金メダルをとりました。
その姿に感動し、
「僕も医者を目指して頑張ろうと思いました。」と
そして柔道はけがをしやすいスポーツだから、
柔道をしていた僕だからこそ、
できるサポートがあるんじゃないかと考えていました。と。
内山善康(うちやまよしやす)さんが
井上康生さんを救った?
井上康生さんは、試合中にケガをしました。
それは
大胸筋断裂
選手生命にかかわる大けがだそうです。
井上康生さんはけがをした時
「腕がちぎれたような感覚がした。」
と言っていました。
筋力は60-70%程度しか戻らないと。
手術をしても80-90%と言われたそうです。
内股をかけられなくなったら、
選手引退しかないと思っていた。
ほど、追い詰められていたそうです。
その状態の井上さんが、
内山善康(うちやまよしやす)さんの外来を
訪れました。
そして手術を行い、無事成功しました。
そしてその後のリハビリ。
その1年半後、畳の上に井上康生さんの姿が!
そこにはけがの前と変わらない
井上さんの柔道がありました!!
内山善康(うちやまよしやす)さんは
現在も柔道に関われているといことは、
自分の励みになっているし、満足している。
ということです。
まとめ
今回はオリンピック金メダリストの古賀稔彦さんと
高校時代に互角に戦った
内山善康(うちやまよしやす)さんについて
まとめました。
無名の選手が、分析に分析を重ね、
古賀稔彦さんと互角に渡り合ったなんて、
本当にカッコいいです。
そして、自分の全てを出し切り、
それでも古賀稔彦さんに勝てなかったからこそ、
柔道を諦められた。
そして新な目標をみつけたというのは、
切り替えが早く、素晴らしいです。
しかもその目標が、「医師」で
達成してしまうあたりがさすがとしか言えません。
さらにスポーツ整形外科を専門とされ、
井上康生選手を救われたというエピソードには
感動しました。
これからも内山善康(うちやまよしやす)さんに
沢山のスポーツ選手を救っていってほしいです。
これからも内山善康(うちやまよしやす)さんを
応援していきたいと思います。