こんにちはMaruです。
2019年6月23日放送の消えた天才で
小林秀一さんが特集されます。
85年もの巨人の歴史でドラフト1位指名を
拒否した人物です。
その理由は柳川事件とも言われていますが
真相は野球愛?
その後の職業を調べると
監督をされていましたが病気(脳梗塞)で
倒れた事もあり
現在は准教授をされているようです。
どんな人生を送ってきたのか
まとめてみました。
目次
小林秀一の巨人指名拒否の理由は野球愛?
巨人と契約することは
高額な契約金やスターへの道が
約束されている大変名誉ある事です。
それを拒否するという事は
よっぽどの理由があったのでしょう。
小林秀一さんとはどんな人物なのでしょうか?
プロフィールをまとめてみました。
氏名:小林 秀一(こばやし ひでかず)
生年月日:1951年4月20日
年齢:68歳(2019年6月現在)
出身地:熊本県上天草市
出身校:愛知学院大学
小学生の頃から野球をしていた
小林秀一さんはピッチャーとして
活躍をしていました。
秀岳館高等学校(旧八代第一高校)でも
ピッチャとして活躍し
八代第一に小林あり
と呼ばれるほどでしたが
甲子園への出場はありませんでした。
大学でも活躍をみせ
リーグ通算21勝6敗 防御率0.93
という素晴らしい成績を残し
プロからも注目を浴びていました。
1973年のプロ野球ドラフト会議で
読売ジャイアンツから1位指名を受けました。
当時の巨人監督である川上哲治さんから
直接説得をされますが拒否したのです。
入団拒否は柳川事件や湯口事件の影響だと
噂をされました。
湯口事件とは?
小林秀一さんがドラフト指名された
1973年3月22日に巨人の湯口敏彦投手が
急死したことで
川上哲治監督、野球界へのバッシングに
発展した事件。
柳川事件とは?
1961年に起こった
プロ野球界と社会人野球界との間のトラブル。
このトラブルで小林秀一さんに
一番影響があったとされる内容が
プロ野球退団者の社会人野球チーム入団を
拒否
です。
小林秀一さんは将来は
アマチュア野球の指導者になる夢が
あったので巨人に入団すると
社会人野球チームへの入団が出来なくなり
夢が途絶えることになります。
そのため巨人への入団を拒否したのでした。
この内容を証明するように
50代半ばに受けたインタビューで
プロアマ規定が緩和された今
巨人に1位指名されたらどうするか?
との問いに
入団していたと思う
と答えています。
病気で倒れたその後の現在については
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