渡辺貞夫 ジャズ界のドン!現役サックス奏者。年齢は?経歴や家族について【徹子の部屋】

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”レジェンド”サックス奏者の渡辺貞夫さんが、

「徹子の部屋」に出演されます。

東京五輪の時に85歳になるという渡辺さん。

今でも現役のサックス奏者です。

渡辺さんがどんな方なのか

気になったので、

詳しく調べてみることにしました。

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経歴

氏名:渡辺貞夫 (わたなべ さだお)

誕生日:1933年2月1日

出身高校:栃木県立宇都宮工業高等学校

その後の経歴

1951年に高校を卒業と同時に上京。

銀座のクラブなどで演奏活動を行い、

数多くのバンドにセッション参加。

1962年にアメリカ、バークリー音楽院に留学。

ボサノヴァの魅力を知る。

1965年に帰国。

その後は、ジャズの枠に留まらない

独自の感性と音楽性で世界を舞台に活躍。

1980年には、日本のジャズ奏者として初めて

日本武道館コンサートを実現させた。

(3日間の開催で3万人の観客を動員)

1996年から宇都宮で子供たちに

指導も行っており、後進を育成している。

また2005年の愛知万博では

政府出展事業の総合監督を務めた。

家族

父親は薩摩琵琶奏者。

兄が一人。(他の兄弟は不明)

妻(2010年11月死去)

娘が一人(作家)

改めてみるとすごい経歴です。

音楽に関連して、様々な活動をされています。

今でも、現役。というのが素晴らしいです。

渡辺貞夫さんの音楽

1978年に大ヒットした『カリフォルニア・シャワー』です。

よければ聞きながら続きをお読みください。

渡辺貞夫さんは、アメリカ留学中に

ゲイリー・マクファーランド共演し、

ボサノヴァの魅力を知りました。

帰国した後、

日本ジャズ界で活動する一方、

ボサノヴァをジャズの世界に紹介しました。

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ボサノヴァ音楽とは

説明を聞くより、聞いた方が早いと思いますので、

音楽を聞きながら、下の説明を読んでみて下さい。

ブラジル発祥の音楽

リズムはサンバから派生したもので、

歌われている言語はポルトガル語です。

ボサノヴァのボサとは

「隆起」「素質」「傾向」「魅力」

ノヴァは「新しい」

という意味です。

ただし、ボサノヴァはあくまで、

1950年代終わり頃から1960年代前半に

一時的に流行ったものです。

2016年のリオデジャネイロ・オリンピックを機に

ボサノヴァはブラジルでも再度注目を集めました。

ビバップからの影響

渡辺貞夫さんは、アフリカ音楽等の

ワールド・ミュージックのエッセンスを逸早く吸収し、

自身の音楽世界に反映させました。

ビバップに影響された彼のアルト・サックス奏法は、

現在まで変わることはないと言われています。

渡辺貞夫さんにとって、アフリカは特別な存在です。

挨拶でもスワヒリ語のJAMBO(ジャンボ)を使われます。

また、アルバムジャケットの背景でもアフリカを

使用されています。。

それは、ジャズリズム完成の一因に

アフリカ系アメリカ人が関係していることが

影響しているのかもしれません。

ビバップとは

1940年代に成立したとされるジャズの一形態。

スウィング・ジャズの終焉後に発生した

モダン・ジャズの起源とされている。

マンネリ化したスウィング・ジャズに飽きた

あるいは、

本来の即興演奏が好きなジャズの演奏家たちが

ライヴハウスや演奏主体の飲食店の閉店後に、

ジャム・セッションをしていて、

そこから発展し生まれたとされています。

ビバップの登場により、

それまで大衆音楽・娯楽音楽のみを演奏する

とみなされていた黒人音楽が、

「芸術音楽」も演奏できると認識を改めさせる契機となりました。

こちらは渡辺貞夫さんの「マイディアライフ」です。

本当に素敵な音楽です。

聞いていると時が過ぎるのを忘れてしまいます。

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現役 日本ジャズ界”レジェンド”サックス奏者

渡辺貞夫さんは、現役のサックス奏者として、

ライブなどを行っておられます。

本人曰く、

ライブが僕の生きがいですからね。

ステージにしゃんと立てるよう、

自分なりの体作りに努めています

。朝と夕方に散歩して、

公園でストレッチしたりね。

年を重ねると足腰が弱くなりますから、

しっかりと全身を使えるようにしないといけません。

参照:Zak Zak

とのことです。

家族について

ご家族についてあまり多くは語られていませんが、

お兄さんについて

渡辺さんのサックスとの出合いは高校時代。

卒業後に「2年間だけ好きなことをさせてくれ」

と両親に懇願し上京したそうです。

その時、お兄さんは戦地に赴いており、

帰ってくるかどうかがわからず、

家業を継ぐのは渡辺さんの役目だったそうです。

しかし、出生していたお兄さんが無事帰国して、

家業を継いでくれたため、

音楽に専念できるようになったそうです。

もし渡辺貞夫さんが、2年で故郷に戻っていたら、

現在の渡辺さんの音楽が聴けなかったと思うと、

帰ってきてくれたお兄さんに感謝したいです。

奥様、娘さんについて

奥様は、アメリカへ留学したいと言った渡辺さんを

快く送りだしてくれたそうです。

渡辺さんが、留学したのは昭和37年。

その当時、アメリカに留学するということは

“今生の別れ”と同じくらい大変なことであったそうです。

奥様は2010年11月に死去されていますが、

渡辺さんの音楽活動を支え続けてくれた大切な存在です。

現在は、家族は渡辺さんと娘さんのお二人ということ。

娘さんは、作家という側面を持ちながら、

渡辺さんの仕事のサポートもされています。

渡辺さんは、娘さんについて、

「娘をかっこよくしたいな、というか。

かっこよく生きてほしい」

と語っており、

さらに

「そのためには僕も、

精一杯生きなきゃいけないな」

と思うということです。

やはり、子どもは親の背中をみて育つので、

子どもに「こうあってほしい」

と思うのであれば

まずは自分がそうあるべき。

ということなんでしょうか。

現在2人の子どもを育てている私としては、

とても考えさせられました。

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「徹子の部屋」に登場

そんな渡辺さんが、「徹子の部屋」に

出演されます。

同じ1933年生まれの黒柳さんと渡辺さん。

同じ時代を生きてきた二人は

どんな話をされるのでしょう。

昔の話から、現在の話まで、

話し出したら、終わりがなさそうです。

番組としては30分しかないのが残念です。

どんな話題が飛び出すのか、今からとても楽しみです。

まとめ

今回は、

日本ジャズ界の”レジェンド”渡辺貞夫さんについて

見てきました。

色々な音楽が出てきて、まとめていて楽しかったです。

素晴らしい経歴で日本ジャズ界を牽引してこられた渡辺さん。

今でも現役ということなので、是非ライブとかに行ってみたい!です。

今後も渡辺貞夫さんを応援していきたいです。

長文を読んでいただいてありがとうございました。

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