山極勝三郎が世界初のがんを作った!その生涯と実績「幻のノーベル賞」とは?【歴史秘話ヒストリア】

出典:http://usagioishi.jp/

今回、「歴史秘話ヒストリア」で

山極勝三郎がとりあげられます。

どんな方なのか調べたら、

とてもすごい方だったので、

記事にしたいと思いました。

世界で初めてがん細胞を人工で作ることに成功し、

ノーベル賞を確実に取れると言われていました。

しかし落選。

その時のノーベル賞の選考は

「ノーベル賞最大の汚点」と言われています。

(本来は山極先生がもらうべきだった、ということです。)

どういうことなのか、山極先生の生涯を調査してみました。

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出生~養子に入るまで

出典:wikipedia

出生年:1863年

出生地:信濃国上田城下

出生家:上田藩士、山本政築(まさつね):下級武士の三男として産まれました。

ちょうど明治維新前後の頃です。

下級武士の生活はひどく困窮していました。

そんな苦しい状況の中でしたが、

山本家は勝三郎に学問を学ばせて、

少しでも苦しい生活から抜け出してほしい

という期待をかけて、

勝三郎を上田公立学校(高等学校)まで進学させます。

勝三郎は、両親からの期待を受けて、

必死に勉強しました。

そして、高等学校を首席で卒業しました。

山極家の養子へ

勝三郎の夢は、

「世界の人々のためになる仕事をしよう」

ということでした。

そんな時、成績優秀な勝三郎を見込んで、

「山極家の養子にほしい。」と言われます。

山極家はずっと医者を輩出してきた家柄で、

山極家に養子に入るということは、

医者になるということでした。

しかし、その時代、医師はあまり人気があるものではなく、

軽蔑されることもありました。

なぜなら、明治8年までは、医師になるのに特別な試験などありませんでしたし、

(自分が医者だ!と名乗れば医者でした。)

きれいな仕事とも言えませんので。

ただし、腕がなければ、医者だと名乗ったところで、

稼げなかったでしょうし、

実際医者として、家を支えられるようになるには

そうとう修行等をしたようです。

と、ゆうような時代背景もありましたし、

勝三郎もはじめは断ったのかもしれません。

しかし、担任の正木直太朗が

「人類の不幸ともいわれる病気を根絶し

人間を救える仕事は医者以外にはない。

これほど尊い仕事は早々あるものではないぞ。

医者になって病気の治療法を解決すれば、

世界中の病気で悩む人を救えるかもしれない。

これは天が君に与えてくれたチャンスなのではないか!」

と説得しました。

勝三郎は正木の説得に感銘をうけ、

山極家の養子になることを決めました。

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山極勝三郎になって

1879年に勝三郎は養子に入り、

正式に山極勝三郎になりました。

そして、

1885年に東京大学医学部に入学し、

卒業時には首席という成績を残します。

1891年に東京帝大医学部の助教授になり

1892年にドイツに留学します。

ドイツでは、

コッホやフィルヒョウに師事し、

病理学者としての基礎を学びました。

フィルヒョウの本江、細胞病理説・細胞刺激説

というものを学び、帰国します。

世界初!人工ガン研究に成功

帰国後の1895年に勝三郎は

東京帝大医学部の病理学教室の教授に就任しました。

がんの原因とは?

病理学教室では、遺体の解剖が業務になっていました。

勝三郎は

3014体の遺体を解剖

その内237体に癌がありました。

そして、その内の107体が胃がんでした。

その胃がんの解剖を通し、勝三郎は

胃潰瘍の縁の部分(最も治りにくい場所)が、

暴飲暴食などにより、

慢性的、さらに反復して刺激を受けることにより

癌を発病するのではないか。

という仮説を思いつきます。

さらに、煙突の掃除夫に

皮膚がんが多いということに着目、

煙突掃除夫がよく接触するコールタールを

慢性的に、反復して、塗り続ければ、

その場所が癌になるのではないか。

という仮説を証明するため、研究を始めます。

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ウサギの耳の研究

1907年から助手の市川厚一と実験を開始しました。

方法はとても地味なもので、

ウサギの耳にコールタールを

慢性的に反復して塗り続けて、

そこから癌が発生するのを待つ。

という方法でした。

その時代、このような実験は数多く行われており、

ことごとく失敗に終わっていました。

ウサギを選んだ理由は、

耳の皮膚が薄く、

耳の中の組織まで刺激を受けやすいのではないか。

と考えたのと、

ネズミでは、耳が小さかったので、ウサギにした

と言われています。

また、その時代、野生動物の耳に癌が発生することはない

と言われていたので、ウサギを選んだようです。

こうして地道な研究を3年繰り返し、

ウサギの耳にがんを発生させることに成功しました!!

研究結果を公表!

そして、

1915年9月25日に山極・市川の連盟で

東京医学界に発表しました。

しかし、それまで多くの学者が失敗したことであり、

ほとんど関心を示されませんでした。

ところが、山極の研究を踏襲し、

千葉県の筒井秀次郎が

マウスの背中にコールタールを塗り続ける実験を行い、

癌細胞を発生させることに成功。

これにより、コールタールによる

人工ガンの発生が認められることになりました。

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幻のノーベル賞とは?

勝三郎の件きゅは、ガン研究を大きく前進させたとして、

ノーベル賞候補に挙げられていました。

それも、4回もノーベル賞にノミネートされています。

しかし、ノーベル賞の受賞には至りませんでした。

表向きの理由は、

ヨハネス・フィルゲルと山極の

どちらが人工ガンの発生の第一人者であるかで

選考審査の意見が割れたから

とか

煙突掃除夫にがんが多いことは従来しられていたことで、

そのことを実験を通して確認しただけで独自研究とは言えない

という意見などがあったからと言われています。

しかし、フィルゲルの研究に至っては、

後年、フィルゲルが発見したものはガンではなかったことが

確認されてましたし、

二つ目の理由については、こじつけもいいところです。

そもそも研究というものは、

世の中でそうであろうと言われていることを、

他の要因を排除し、再現性をもって繰り返せることを

証明することで、双方の因果関係を確実なものにすることです。

ですので、

「コールタールが癌を発生させる。」

という因果関係を証明した、ということそのものが功績ですし、

また、そのようにガンができることを証明したことで、

ガンの治療の分野の研究も大きく躍進するはずです。

というわけで、つまり、

勝三郎にノーベル賞を受賞させたくなかった理由が他にあり、

それを声を大にしては言えないから、

表向きの理由をこじつけた。ということです。

ノーベル賞が受賞できなかった本当の理由とは?

それは、人種差別です。

その当時、科学はまだまだ白人によって独占されていた状況でした。

日本はそれに追いつくのに必死でした。

その頃の白人たちの見識は、

「有色人種は劣った人種であり、

科学のような知的領域で業績を上げることはできない。」

でした。

また

「科学だけでなく政治面でも劣っており、

植民地の運営はできない」

とされていました。

(当時植民地を持っていることが一等国としての条件でした。)

その後、日本は日露戦争で勝利し、

満州という植民地を得てきちんと運営して見せました。

白人たちにとってこの衝撃はかなりのものだったようですね。

基本的にはノーベル賞の選考基準は秘密とされています。

しかし選考委員が後にきちんと

「これは歴史的に大きな汚点である」

と言っており、

また選考の際に

「日本人には早すぎる」

という意見が出てきたことを述べています。

そして現在でも「ノーベル賞最大の汚点だ」

と言われているのです。

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山極勝三郎とは?

勝三郎自身はとても病弱で、

若い頃に結核にかかり、何度も喀血し

死の境をさまよっていたそうです。

その当時結核は、治療法がなく、

死の病と恐れられていました。

その結核と戦いながら、

研究も精力的に行っていました。

また、生涯貧乏でした。

その当時、ガンの研究は、政府の予算がほぼ付きませんでした。

しかし、その研究に全身全霊をかけていたので、

お金が入ってくるわけがありませんね。

家庭的には、不幸が多く、

長男は1歳になる前に病死

長女も8歳の時に火事に巻き込まれ焼死

しました。

歴史秘話ヒストリア

今回、山極勝三郎が

歴史秘話ヒストリアで取り上げられます。

今回調べきれなかった、

勝三郎の思いや、努力、また人間性など

色々なことが分かるかもしれません。

放送が楽しみです。

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まとめ

今回は、山極勝三郎について調べました。

「幻のノーベル賞」

ということでしたので、当然ですが、

ものすごーくものすごーく優秀な方でした。

明治初期の時代に生き、

人工がん細胞の発生を証明した勝三郎。

それと同時に人種差別がある中で、

黄色人種でもできるんだ!

ということを証明して下さったように感じました。

また、自信の結核や、家族の不幸にも負けず、

多くの人を救いたいという夢を追い続けた勝三郎。

本当に尊敬します。

山極勝三郎は「うさぎ追いし」という映画にもなっています。

一回みてみたいです。

今回、山極勝三郎を調べて、とても勉強になりました。

日本人として、是非とも知っておきたい方だと感じました。

長文を読んでいただいてありがとうございました。

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